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血は立ったまま眠っている

スタッフ

寺山修司 (てらやま しゅうじ)

【戯曲】

寺山修司
1935年12月10日生まれ 青森県生まれ
51年 青森高校に入学。新聞部、文芸部に参加する。
54年 早稲田大学教育学部国語国文学科に入学、在学中から短歌会などで歌人として活動。
58年 第一歌集「空には本」刊。
59年 谷川俊太郎のすすめでラジオドラマを書き始める。投稿した「中村一郎」(RKB毎日)にて、民放会長賞を受賞。
60年 長編戯曲「血は立ったまま眠っている」が劇団四季で上演される。
64年 放送詩劇「山姥」(NHK)がイタリア賞グランプリ受賞。放送詩劇「大礼服」(CBC)芸術祭奨励賞受賞。
67年 横尾忠則、東由多加、九條映子らと演劇実験室「天井棧敷」を設立。
69年 渋谷に天井棧敷館及び地下小劇場落成。作詞したカルメン・マキの「時には母のない子のように」が大ヒットする。
70年 「あしたのジョー」の力石徹の葬儀を"喪主"として行う。
72年 ミュンヘン・オリンピック記念芸術祭にて、野外劇「走れメロス」を上演。
74年 長編映画「田園に死す」(芸術祭奨励新人賞)を脚本、監督。
75年 南仏ツーロンの「若い映画」祭でマルグリット・デュラスと共に審査員を務める。
77年 フランスの写真雑誌「ZOOM」の日本特集号を単独編集。
79年 東京都美術館にて公開ワークショップ「犬の政治学」。肝硬変のため北里大学付属病院に1カ月入院。
80年 「シティロード」読者選出ベストテンの演劇部門「作家・演出家」の分野で、2年連続第1位となる。
82年 長編映画「さらば箱舟」(脚本・監督)で沖縄ロケ。谷川俊太郎とビデオレターの交換を始める。
83年 絶筆となったエッセイ「墓場まで何マイル?」を書く。5月4日午後0時5分、肝硬変と腹膜炎のため敗血症を併発、死去。享年47歳。


蜷川幸雄 (にながわ ゆきお)

【演出】

蜷川幸雄
1935年10月15日生まれ 埼玉県生まれ
55年に劇団青俳に入団し、67年に劇団現代人劇場を創立。69年『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。72年演劇集団「櫻社」結成、74年同劇団を解散後、『ロミオとジュリエット』で大劇場演出を手掛けるようになる。
以来、名実共に演劇界の第一人者として活動し続けている。また、ヨーロッパ、アメリカ、カナダなどで行った遠征公演を通じて海外でも高い評価を得ている。88年『近松心中物語』の第38回芸術選奨文部大臣賞をはじめ受賞歴多数。92年には、英国エジンバラ大学名誉博士号を授与された。
また、84年に始めた「蜷川スタジオ(ニナガワカンパニー)」では若手の演劇人たちと共に、積極的に実験的な演劇作品を生み出し続けている。2006年、彩の国さいたま芸術劇場で55才以上の演劇集団「さいたまゴールドシアター」、2009年に若手俳優育成プロジェクト「さいたまネクスト・シアター」を創設。現在、Bunkamuraシアターコクーンと、埼玉県芸術文化振興財団の芸術監督に就任している。
近年の主な演出作品に、『藪原検校』『エレンディラ』『カリギュラ』(2007)、『さらばわが愛 覇王別姫』『わが魂は輝く水なり』『道元の冒険』『ガラスの仮面』『から騒ぎ』『表裏源内蛙合戦』(2008)、『冬物語』『ムサシ』『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』、さいたまゴールドシアター『アンドゥ家の一夜』、『NINAGAWA 十二夜』『コースト・オブ・ユートピア‐ユートピアの岸へ』『真田風雲録』『十二人の怒れる男』(2009)などがある。

(C)大久保惠造



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